昭和五十六年四月三十日 朝の御理解
御理解第八十九節「此の方の道は傘一本で開く事が出来る。」
私が一番有り難いと思う事。それは一切を神愛と分からせて貰い、それをいよいよ成り行きを尊ぶとか大切にするとか、黙って治めるとか、いわゆる合楽理念に基づいて悟れた事。私が一番有り難いと日々思わせて頂く事は、一切が神愛と分からせてもらいそれを悟らせて頂いた事。それは成り行きをいよいよ尊ばせてもらい大切にさせて貰う修行をさせて頂いて、いよいよ黙って治めるという事が一番最高のおかげが受けられるという事を確信出来る事。これが一番有り難いのです。これは私が有り難いと思うのです。ですから私の言う所、私のそうした分かる、そこから悟る実験によって悟らせて貰う。それを聞いて貰い、それを皆さんも頂いて貰う以外にはないと思うのです。だから本気で実験をなさらなければ、云わば悟りになって来ないです。
成る程天地自然の働きの中には無駄が無い。一切が神様の御神愛だ。又は御神愛が成就の事の為だ。御神願が成就する事の為のそれであると分かり、それをいよいよ日々実験によって実証させてもらう。そして成る程この世には無駄もそつも無いもんだ。一心に心を神様に向けてさえ居れば一切がおかげであると同時に黙っておれれるという事。それは黙って治めるという事が一番おかげが受けられるという事が実験実証によって実証されてくる。いわゆる日々を体験して行っておるからであります。
私が一番有り難いと思う事はね。いわゆる黙って治めるという事が一番素晴らしいおかげが受けられる。極端に言うとおかげが受けられるという事が分かったからです。それが一番有り難いです。その云わば内容としてどういう事になるかというと、一切が神愛だなあと分かるんです。そしてその手立てとしていよいよ黙って治める修行に徹しなければならない。又いよいよ成り行きを大切に、しかもそれは拝んで受けるというような、尊んで受けるというような実験を日々させて貰わなければならない。そこから、いわゆる実験が実証となって生まれてくる。そして成る程だという合点がいったその心が私は傘一本だと思うです。そいう心が開けたところからそういう事がいよいよ分かり悟れた所から、いわゆる後のおかげはそれこそ開けに開けていく道がついてくるのです。
皆さんが一番有り難いと思う事はどういう事でしょう。合楽に御神縁を頂いて一番有り難いと思われる事はどういう事でしょう。どういう事を実験し実証して居られるだろうか。お取り次ぎを頂いてお願いしておかげを頂いた。あん時はおかげ頂いたばってん今度はどうか分からんといったような事では本当はいわゆる傘一本にはならないです。
此の方の道は傘一本で開ける道と仰せられるのですから、本当に云うなら簡単です、明瞭です、という事になりはしませんか。だからその実証にあたる。もう私は合楽の信心はね、この実験実証に取り組む人じゃなからなきゃ駄目です。
昨日敬神会でしたが、或る一人のお年寄りの方がもう熱心に若い時にはしておられたけれども、もう不平不足もう兎に角不平不足のだらだらのお届けを昨日されましたけれども、もうそりゃあんた自分でのんぼり向いて(上向いての意)唾吐くような事じゃんのと言いたいようだけれども、もうとても駄目だというような気がしましてね。それはそれなりにおかげを頂くようにと言うてお取り次ぎさせて頂いた事ですけれども、何十年信心しておっても、何十年私の話を聞き続けておっても実験実証して日々にリズミカルな生き方の出来るおかげを頂かなければ合楽に通うて来る値打ちはないです。本気で例えば今あの大城の吉田さんという方は、まあ日参を始められてから何ヵ月位でしょうけれども、信心は長かったです。もう毎日今は姑親のお母さんと二人で参って来ます。御祈念の後に毎日毎日が本当にそんかわりもう、ほうそんな事までおかげち思うのという位におかげおかげで受けていかれるです。そこには生まれておるそのリズムというものが、本当にそれが合楽理念の実験実証たいのというて、こりゃ毎日そのお届けをなさいます。いかに合楽理念に取り組んでおられるかという事が分かります。だからあの取り組もうと思うたら容易いのです。簡単です、明瞭です。だから取り組まなかったらやっぱり信心な難しかという事になるんですよね。 どうぞ。